第2章 偏見(経験)(7)「自由」とは何か

さて、話は最初に戻り、三つの相反し、排斥し合う憲法学上の「自由」である。
まず一つは、フランス革命の理論的支柱となったフランス啓蒙思想、いわゆる理性万能思想(左翼思想)を代表するジャン・ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)のいう「自由」である。つまり、「自由、平等、博愛」の自由である。

ルソーは、フランス王国臣民がその父祖より相続した道徳や慣習、伝統などの「法」を否定し、そのようなものと断絶した、基本的人権と民主主義に基づく「自由」を提唱した。

この「自由」は、立法者(独裁者)の意思を絶対とする人民主権思想に立脚する「自由」である。従って、この「自由」は、立法者の意思の絶対的制限下にある自由であり、その保障は限りなくゼロに等しいのである。

フランス革命に於いて、「人権宣言」などが出されるも、そのような文言は事実上全く無視され、法定手続なき処刑、自由の剥奪、大虐殺が日常茶飯事に行われた。フランス革命やロシア革命、それに続くいわゆる人民民主主義諸国の誕生とそれら諸国に於いて起こった諸々の人類的大悲劇は、ルソーの「人民主権」とそれに基づく自由とは、暗黒の圧政をもたらすもの以外の何でもないことを明確に証明したのだ。
そして、事は、他の主権論思想についても同じである。天皇主権や国民主権の思想は、人民主権と相対立するかに見えて、実は全く同根の、暗黒の圧政をもたらす思想である。
「主権論」という、父祖より相続した道徳や慣習、伝統などの「法」を否定し、ある特定の人や集団の意思を絶対視する思想は、一人一人の「自由」を必ず圧殺し、消滅させてしまう。これについての詳細は、第三章「國體(憲法・時効)」で述べる予定である。


この点、大日本帝國憲法は、第4条に於いて、「天皇ハ・・・此ノ憲法ノ条規ニ依リ」統治権を行使することが定められており、天皇といえども大日本帝國憲法とその背後にある「法」(皇祖皇宗の遺訓)を遵守せねばならないことが明文化されている。
よって、大日本帝國憲法は、いわゆる天皇主権論を明文で明白に否定し、拒絶しているのである。


さて、二つ目の「自由」とは、19世紀英国のジョン・ステュアート・ミル(John Stuart MiIl)のいう「自由」である。
ミルは、自由を、「他人に害悪を及ぼさない限りに於いては何事もなし得ること」と定義した。我が國に於ける、いわゆる憲法学のテキストに於いては、この意味の「自由」が最もポピュラーと思われる。
なるほど、自由をこのように定義するならば、ルソーのいう自由(またはホッブズの君主主権に於ける自由、ロックの国民主権に於ける自由)の如く、主権を持つものの絶対的な意思により、各自の自由が一方的に圧殺されてしまう恐れは少ない、といえる。
自由自体の許容範囲を、主権を持つものの意思に全て委ねてしまう、ホッブズの君主主権、ロックの国民主権、ルソーの人民主権に比べて、ミルによる「自由」の定義は、「他人に害悪を与えないこと」という、一応客観的かつ明確な判断基準により、各自の自由の範囲を、他者の絶対的判断から守る機能を有しているからである。
この観点からすれば、ミルの自由の定義は、ホッブズやルソーらの主権論による「自由」よりは格段に、各自の自由の保障に資するものである、と評価できるように思われる。しかし、これは大きな誤解である。
「他人に害悪を与えない」という基準には、父祖より相続した道徳や慣習、伝統などを保守する、という観点が全く欠落している。つまり、この基準によれば、他人に害悪さえ与えなければ、如何なる不道徳や伝統破壊なども行って構わない、ということになってしまう。
そして、「他人に害悪を与えていない」という抗弁は、ともすれば、実際には他人に何らかの害悪を与えている事実を誤魔化し、見逃させる口実として使われている場合もある。
かくして、ミルの定義による「自由」によれば、父祖より相続した道徳や慣習、伝統などの規範は、非常に巧みに破壊されてしまう。実に、ミルの「自由」こそは、緩やかで狡猾に行われる革命の手法なのだ。大いに警戒せねばならない。


第三の意味の「自由」こそは、ミルではない、英米に於ける本流の政治思想、すなわち英米保守思想の定義する「自由」である。「法(Law)」すなわち父祖より相続してきた道徳や慣習、伝統などの下に於ける「自由」である。これが、正しい「自由」である。
英米保守思想とは、概ね、16世紀英国の下院議員にして法曹家であるエドワード・コーク(Sir Edward Coke)に始まり、18世紀英国の下院議員エドマンド・バーク(Edmund Burke)によって大成されたものである。父祖より相続した道徳や慣習、伝統などを「法」として尊重し、命令も法律なども、全て、「法」に従わねばならない、とする「法の支配(Rule of Law)」なども含む。
前回の記事でも解説したように、我が國に於ける歴史的・伝統的な「自由」の概念も、この系譜に属する。大日本帝國憲法の保障する「自由」も、「皇祖皇宗の遺訓(法 Law)」の下に於ける自由であるから、大日本帝國憲法の告文はこのことを確認したものであるといえる。
英米保守思想については、これまでも随所で解説してきたが、この『憲法学(保守思想)概説』に於いても、第三章 憲法(國體・時効)で詳説する予定である。