第4章 左翼思想とは何か(1)『社会契約論』の正しい読み方(2)

このシリーズではルソー『社会契約論』は、桑原武夫・前川貞次郎訳(岩波文庫)より引用します。


本来なら『社会契約論』の冒頭から採り上げていくべきですが、初回ということで、ルソーの思想が端的に分かりやすく現れている箇所から始めましょう。また、傍線部は特に有名な箇所ですので、どこかで見たことがある、と思われる方も多いかもしれません。


(以下引用)


人民の代議士は、だから一般意思の代表者ではないし、代表者たりえない。彼らは、人民の使用人でしかない。彼らは、何ひとつとして決定的な取りきめをなしえない。人民がみずから承認したものでない法律は、すべて無効であり、断じて法律ではない。イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう。その自由な短い期間に、彼らが自由をどう使っているのかをみれば、自由を失うのも当然である。(p.133)


(引用ここまで)


まず、ルソーの言説の特徴として、何の根拠もないことをいきなり断定的に言い切る、ということが挙げられます。ちょっと考えてみればおかしなことを言っているのに気づくと思われますが、多くの人は「ルソーという偉大な思想家がこんなことを言っている」と思ってしまい、何の批判もせずにルソーの説を受け入れてしまうのです。ここが、非常に気をつけねばならないところです。


それにしても、ルソーのこのような手法は、プロパガンダの常套手段ですから、普段から気をつけておきましょう。


さて、「一般意思」という言葉が出てきました。これは、ルソーの思想を理解する上で欠かせない概念です。しかし、初回の今回は、一般意思についてはひとまず置いておき、ルソーのいう「自由」について考えてみます。


まず、ルソーは唐突に、「イギリス人は自由だと思っているが、それは間違いだ」などと言い出します。実際のところ、18世紀後半という時代に於いて、大英帝國は議院内閣制が完全に確立し、トーリー(保守党)とホイッグ(自由党)による二大政党制による立憲君主制は磐石のものとしてその広大な植民地を保持していました。


大英帝國臣民は(人民ではありません)、エドワード・コークやマシュー・ヘイルらによって継承されてきた「法の支配」の下、身分制度に於ける「自由」を享受していました。


「自由」は「平等」とは矛盾します。決して両立しません。というのは、自由とは身分制度によって政府の力が分散するところに生じるからです。詳細は、第1・2・3章などで展開したいと思います。


それに引き換え、フランス王国は、ブルボン朝による絶対王政が進み、貴族らの力が弱まっていました。同時に、「自由」もまた、減少し、圧殺されていったのです。


当時の大英帝國とフランス王国を比較してみれば、どちらの国民が「自由」に暮らしているかは一目瞭然でした。「君臨すれど統治せず」のハノーヴァー朝を頂き、貴族らの力の強い立憲君主制の大英帝國と、強大なブルボン朝を頂き、貴族らの力が減退していく絶対王政のフランス王国では、大英帝國の臣民の方が「自由」に暮らしていたのです。


にもかかわらず、ルソーは「英国人民は奴隷だ」などと絶叫します。ルソーの言葉として有名なこの箇所ですが、こんなものは事実に反する、単なる誹謗中傷でしかないのです。


つまり、ルソーは、「英国には身分制度が強固に存在している、平等ではない、だから英国人民は奴隷だ」などと言いたいのでしょう。しかし、身分制度こそは自由の源泉です。不平等こそは自由の証しです。それに、そもそも、自由と平等は別の概念ではありませんか。


つまり、ルソーは、「平等」のことを「自由」だ、と、巧みに言葉の意味を転倒させているのです。
これは、ニュー・スピークス(転倒語法)と呼ばれる洗脳技法です。
転倒語法とは、言葉の本来の意味を逆さまにしてしまい、かつ、それを真実であると信じ込ませてしまう左翼のプロパガンダです。


実は、ルソーは、この転倒語法の達人なのです。追い追い、見ていきましょう。この箇所は、次回も採り上げます。